サッカーを通して、たくさんの仲間ができました。
そんな仲間達は、今の自分を形成する上でとても大切な存在だったし、みんなのおかげで今の自分があると、心の底から思えます。
何よりも、苦楽をともに過ごした経験というのが、自分にとって一番の財産となっています。
今でも、みんなが集まれば思い出話に花が咲き、何時間でも語り合うことができます。
当時から10年、20たった今でも、そういった関係性を保ち続けているということは、本当に感謝しかありません。
人のために頑張る
僕が小学生の時、地区大会の予選での出来事です。
ケガをして試合に出ることができなかったチームのエース。
監督は「こいつのために試合に勝って、次に進もう」と言って選手を送り出しました。
僕はベンチから試合の様子を見守っていましたが、必死で応援していました。
当時僕は転勤してきたばかりで、試合に出る実力もなかったのですが、その試合は鮮明に覚えています。
今聞くと、相手チームとは何度か顔を合わせるようで、あそこには絶対負けたくないという気持ちもあったようです。(僕はそこまで知りませんでしたが・・・)
ともあれ、僕の応援のおかげ(?)で試合に勝つことができ、みんなで喜び合うことができたのですが、チームに加入して間もない自分ですら、その時はなぜか、チームの一体感を感じることができました。
本当にチームのみんなが「あいつのために頑張ろう」と、とてつもないエネルギーを生み出していたのです。
この感覚を言葉で表すのは難しいですが、なぜそう感じたのかを考えてみたいと思います。
良い仲間を作るために
ワンピースという漫画をご存じでしょうか?(ご存じない方はごめんなさい)
ゾロとサンジって、仲が悪いですよね。
いつもケンカしてばかりだし、お互いがお互いに、それぞれ気に入らないところがある。
でも、そんな2人が良き仲間であることは、周知の事実でしょう。
なぜだと思いますか?
それは「信頼」と「共通の目的」にあります。
気に入らない部分はあっても、相手を認めている。
いろいろと文句を言いつつも、心の奥ではお互いのことを信じて、頼っているからです。
では、なぜ頼る必要があるのか。
1人では達成できない、けど力を合わせれば達成できるかもしれない「共通の目的」があるから頼るわけです。
サッカーの試合は、まさしくこれに当てはまります。
試合に勝つという「共通の目的」のために、お互いの力を「信頼」して試合に臨みます。
これは、1人1人がチームのために、最大限のパフォーマンスを発揮することで成立します。
手を抜いてる味方を信用できますか?全く実力がない味方を頼れますか?
人のため、チームのためになるために、自分の実力を磨いて貢献する。
プレー以外でもチームのためにできることはないか?
ベンチから必死で応援することも、自分ができる最大限のパフォーマンスかもしれません。
だからこそ、あの時の試合で僕は「仲間」を感じることができたのだと思います。